京都市北区「源光庵」へ。我が家と同じ曹洞宗派、「そうだ京都、行こう」でも取り上げられていた丸い窓と四角い窓があるお寺です。今日は11月初旬、時期が早かったようで窓の外にはまだ紅葉は見受けられません。この窓の意味が説明してあり、目の前でしばしその意図を考えていましたがなかなかピンときません。そもそも悟りを開くってどういうことでしょうか。言い方悪いかもしれませんが自己満足のような気もします。この時点であなたは悟りを開きました、なんて規定はありません。ではこの丸い窓がなぜ悟りを表してるのか。これを作った人がそう感じただけ、それだけなんだと思います。他人が理解できることではない。もっともこの製作者も誰かに見せるために作った訳ではないでしょうから、評価されるのなんてまっぴらごめんでしょう。ただいつも感じるのは高僧がこう言ったから、権威ある人がああ言ったからって何でもかんでも信じてはいけないということです。自分に取り入れ納得してから信じないと。ただ素直に信じればいい時もあり、どうしてこうも天邪鬼というのかパンクというのか素直になれない時が多々あり、結果遠回りになる時もありますが、この精神を手放せば角が無くなる気がするので、これからも持続しなくてはと心を引き締めるのです。