2022年4月30日土曜日

Book in 2022 No.12 IN/桐野夏生

2022.4.30  

小説家であるタマキの葛藤を描いている。葛藤といえば簡単だが、実に千差万別、複雑に入り組んだ人間関係と感情を味わえる作品だ。
 いつも作品の感想しかここには記さないが、振り返った時に作品の概要を思い出せるよう、覚書程度に記録をしておく。「主人公のタマキは小説家で、今新しいテーマを元にして作品を書くため取材をしている。そのテーマの元となったのは過去に話題を読んだ緑川未来男作『無垢人』だった。この本に登場する人物、関連する人物を探すも、本の中でのキーパーソン『◯子』を特定できないでいた。云々」

 主人公が小説家ということで、本を出版する際の編集者との関係など、桐野氏の実体験が元になっていることも多いのかも。そう考えると担当編集者との関係を良好に保つことは実に大切なことだとわかる。
 小説を読むと、自分自身を振り返り、日々の暮らしに活かせることがあるかと熟考する時間が持てる。慌ただしく、悲しい世の中をできる限り健全に過ごすための拠り所のようなものだ。





 

2022年4月17日日曜日

Book in 2022 No.11 マチネの終わりに/平野啓一郎

2022.4.17

 天才ギタリスト蒔野とジャーナリスト洋子のお話。艶やかな文章表現が、大人な魅力を深く描き出している。平野氏は言葉の力をものすごく信じていて、言葉との信頼関係が感じられる。言葉たちが氏に使われることで本来の力を発揮して、言葉自身が踊っているようなそんな印象を受ける。物憂げな表現さえも輝いているように感じられて、どんどん引き込まれてしまう。早く先が見たくて、ページを捲りたくて仕方がなくなった。日を跨ぐまで読み、そのまま机でうつ伏せで寝て、驚くことに夢にもこの話がでてきて、一旦ベッドに流れ込んだのも束の間、気になって朝日と共に起きて読んでしまった。こんな幸せなことあるのか。朝焼けが徐々に広がってくる頃、物語の展開はなんせもどかしかった。残りのページが少なくなるにつれて、寂しくなって来るわ、まだ2人再会してないけど大丈夫か?と心配するわでそわそわ。その後の展開は皆様のご想像にお任せという、いい頃合いで物語は幕を引いた。本は完結したけど、気持ちはまだ着地したくないと宙を舞っておる。スラムダンクの引き際よろしく、一番綺麗な姿での別れはものすごく切ないんだけど、その印象がいつまでも色褪せずにキラキラしたものとして刻まれてて、心の糧になっているような気がする。

 

2022年4月12日火曜日

Book in 2022 No.10 雪国/川端康成

 2022.4.12

作者あとがきに、雪国は日本の外の国で日本人に読まれた時に懐郷の情を一入にそそるらしいと書かれている。なんでか日本の国内にいてもそう思う。幸せな話ではなく、寒さを感じさせる描写ばかりなのだが、温かさを感じる。常に陽に照らされる夏ではなく、ふとした時に感じる冬の陽の温もりのような、さりげなさがある。
 芸者とか花街にまつわる表現ってのは、個人的に文章に華を感じる。江戸から昭和にかけての情緒的な香りがするし、背徳的なところにもハラハラするからかもしれない。殊更、駒子が三味線を弾き始める描写はもう文章芸術といっていい。言葉でそこまでの艶かしさを出せるってのは恐怖すら感じる。これぞ川端康成、緻密な観察力がものをいうんだろう。日々目にする光景を目に焼き付けて、言葉にして表現することが大事なのだろう。


2022年4月5日火曜日

Book in 2022 No.9 奴隷小説/桐野夏生

 2022.4.3 

短編集である。タイトルの通り、理不尽で抗うことが許されない世界を描いている。読む進めていくほど憂鬱になるのに、こういう世界というのは覗いてみたいという心理になる。人間はずるい。どうしようもない。外で起きていることは所詮外で起きていることで、自分は関係ないのだ。罪悪感を抱こうが同情しようが、己の身に降りかかるまで実感というのは抱けない。小説や映画といった娯楽はそういった世界の擬似体験でもあるのかもしれないが、真の体験者からしたら苦痛で仕方あるまい。物議を醸し話題となる小説や映画は、特定の人たちを嫌な気持ちにさせたりするものだが、複雑かな同時に興味をそそられる人も多いんだろう。
 


2022年4月3日日曜日

Book in 2022 No.8 討論 三島由紀夫vs東大全共闘《美と共同体と東大闘争》

 2022.4.3

2020年に映像化された討論会の手記を発見した。古本屋には足を運んでみるものだ。
何とか読み終えたが、正直意味がわからないことばかり。これを読み解くにはあらゆる知識を会得せねばならない。一般的に革命というのは知識階級や上流階級に君臨するブルジョアをカーストの上層階から蹴り落とし、既成体制を破壊する行為だと思うのだが、そこに対する学生諸氏の思考が僕にとっては複雑すぎる。阿呆が入り込むところではないことは確かだ。ただ時折、詭弁を並べているだけのようにも、討論を建設的に進めるというよりは三島氏の揚げ足し取りに徹底しているようにも見える。論理を捏ねくり回しているだけで現実的な行動にどう繋げていくのかが不透明でならない。安田講堂に立て籠り、機動隊と戦う行為のその先に何を見ていたのであろう。結局、学生運動というもの、とりわけ東大闘争に発展した経緯、三島由紀夫が政治的な行動を始めた経緯、戦後の時代背景等をより深く掘り下げないとこの論争の真意は読み取れない気がする。勉強して出直してこよう。