2015年9月9日水曜日

判断基準

  16歳でバイクに乗り始めた時、色々な雑誌を読み漁っていた。このバイクカッコいいなーとずっと好きなバイクを眺めていた。そしていつも通じて、これはダサいなーと思っていたのは、シングルシートが付いたバイクだった。シングルシートは説明するまでもなく、1人乗り専用のシートで、発進時、加速時、重心をホールドできるような形になっている。

  今28歳になりそのシングルシートに比べようのないカッコよさを見出している。レースには欠かせないシートであることはもちろん、街中を走るレーサーレプリカ、カフェレーサー風のバイクにもマストなシートだ。当時、バイクのバを知ったばかりの、学校と家をただ行き来しているような小さな世界に住む少年に、そのシートの良し悪しを判断できるわけなかった。今言えるのは、ダサいのはそのシートじゃなくて、自分自身の考え方だったこと。これはバイクに限らず、何にでも言えることなのではないか。バイク、車、音楽、ファッションそして人の生き方。その時の考え方、過去の経験を持ってしても、物事やカッコよさの良し悪しを判断して、断定するってのはなかなか難しい。例えば、この人の服はダサい、のではなく自分のセンスがまだその人のレベルに到達していないだけなのかもしれない。また、この人の生き方はおかしい、のではなく自分の経験が少な過ぎる故、その人の人生を捉えきれていないだけなのかもしれない。20歳の時から海外や国内を1人旅し始め、自分の経験値からじゃ判断しきれない多くの人や物事に出会い、そういった考え方が芽生え始めた。この考え方が判断の基準になってから、頭ごなしに人や物事を否定できなくなった。否定するにしても、その前に色々考えるようになった。何かを判断する時は、その人や物事のバックグラウンドを正確に読み取る必要性があるから。

  また一般的に変人と言われてる人に対しても動じなくなってきた。世の中にはこういう人もいるよねって判断できるようになったし、それは同時に、もっと変な人がいた、っていう過去の経験と照らし合わせることができるようなったから、なのかもしれない。人間ってやっぱ排他的で、何か自分に慣れないことや、自分の中にないものが突如目の前に現れると拒絶する傾向があると思う。それを楽しめるアドベンチャーな人ももちろんいるけど稀な方なのかもしれない。若い人が攻撃的ってそうゆうことだと思う。自分がそうだったように、何も知らないから他を否定する。そして28歳の自分もまだまだ知らないことだらけ。18歳からの10年後なんて予想できなかったし、予想しようとも思わなかった。28歳からの10年後は予想できる。このまま歩みを止めてないんだったら、今より確実に、絶対に成長してると。やっぱり無駄な経験なんてないってわかってきた。辛いことも、楽しいことも経験すればするほど、判断スケールがでかくなって大小様々な山を越える力になるし、他を許せる力が強くなる。やったことが無駄か有益か判断するのは自分次第。もしやったことすべてを有益に持ってゆく頭を身に着けられたら、どんな1分1秒も将来の糧になってくれること間違いないだろう。






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