2016年6月5日日曜日

Ichiro religion

   自分の心に響くことはすぐ取り入れようとします。イチロー選手の考えのひとつに破壊欲というものがあります。今のスタイルを壊しリセットするのです。彼は2004年にメジャーリーグ歴代1位となる262本の安打を放ちました。それまでの努力がベストな結果として現れたんだと思います。しかし翌年、彼はバッティングフォームを改め昨年と違うフォームを実践しました。あれだけの結果を残してもスタイルを見直したのです。絶え間ない向上心というものを感じました。常に冷静沈着ですが、心の中には人一倍の闘志を燃やしていて小さなプレーひとつひとつに心惹かれてしまいます。

 私は仏様が死者を極楽浄土に連れていったところを見たことはありません。おそらく誰もないですが宗教の教えが正しいかどうかは、ただそれを信仰するか否かそれだけだと思います。信じる気持ちがあればそれは正しく、なければそれは正しくない。宗教や色々な教えに対して疑問を持つことはよくあります。それはそうゆうものだからと言われても、その正当性に確信を持てなければなかなか信仰心を持てません。しかしイチロー選手は今この世界に生きていて、その言葉ひとつひとつは努力や実践から導き出されており、より頼もしく心に響き渡ります。

   芯の強さもまた魅力のひとつです。当初多くの人が常識外れだと振り子打法を非難していたようですが、ひたすら続けその破壊力を世界に証明しました。非常識を持続すれば常識になるのではなく、非常識でも結果で証明すれば認めてもらえるのでしょう。でもあの打ち方はイチロー選手にはぴったりだった訳で、他人が真似すれば打率が上がるかといえばそれは違います。みなが正しいと思ってやっていることが自分にも合っているかと言われればそれは違います。拡大解釈ですが、自分の生き方は相対的に比較して見つけていくのではなく、絶対的なものとして自分で探さないといけないんだと彼に教えてもらったような気がしました。

 「永平寺に行って修行僧と会話して来たんだ」と話せばみな一様に口ごもりましたが、イチロー選手を師と仰いでいるんだと話せばいくぶん和らいだ雰囲気を保てそうな気がします。50歳まで現役を続けるそうですが、これからも変わらず応援していきたいです。




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