僕の周りには親友や友達と呼べる人がいる。しかしその友人をどうにかしてあげたいなどと、世話を焼くことはしない。自由にやってる友人が面白い。「誰にもきちんと執着されたことがないから、友達のことを自分のことのように躍起になるんだよ」こんな言葉が出てくる。人に愛されていない、或いは愛されてこなかったというのは人に様々な影響を与えるのだと思う。
ラジオで人生相談を聞くときもそうだ。あの番組に出る人の悩みは夫婦間のトラブル、浮気不倫、子供の問題、相続、どう生きていけばいいかわからないなど多岐にわたるが、流石のパーソナリティたち、酸いも甘いも経験した人生哲学で次々と解決策をひねり出す。そして相談者は決まって、トラブルを抱えるのは避けられないような一部欠陥のある人が多い。そんな彼らの問題は今起きてるのだが、パーソナリティはなぜそれが起きたのか、そこに至るまでに理由があったはずだと、彼らの過去を探ることも多々ある。するとやはり幼少期の育ち方が尾を引き、今の問題に繋がることが多い。その中でよく耳にするのが、幼少期に愛されてこなかったという問題だ。親にとっては小さなことでも、子供は違う受け取り方をすることもある。それを念頭に入れ子供と接しないと、子供の向かう方向は少しづつズレて行く。
自分を客観視できるようになるまでは、苦しむことも多いだろうが、そんな時に大切なのが友達なのだろう。悩みは解決しなくても、話すだけで幾分か楽になるのことがある。悩んでたことが嘘だったかのように。友達が多いのは悪くはないが数より中身、いわば真剣度が大切だ。これからも友達とはいい距離を保ち関わっていきたい。いなくなるとただただ生き辛くなる。
自分を客観視できるようになるまでは、苦しむことも多いだろうが、そんな時に大切なのが友達なのだろう。悩みは解決しなくても、話すだけで幾分か楽になるのことがある。悩んでたことが嘘だったかのように。友達が多いのは悪くはないが数より中身、いわば真剣度が大切だ。これからも友達とはいい距離を保ち関わっていきたい。いなくなるとただただ生き辛くなる。
0 件のコメント:
コメントを投稿