2014年12月28日日曜日

Black exhausted pipes

Replace a exhaust and end pipe...Before...

エキパイとエンドを変える
heat-resistant paint

耐熱黒で。
The end megaphone pipe is for universal. Joint part is rough made i got satisfied that.

エンドは汎用のメガホンパイプ。ジョイントはカーマで適当に作る。これが良い。
Runs good Power good Sounds good. I love a OHV sound

走り、パワー、サウンド全て良し。OHVシングルの独特?なのかはわからないが、弾ける音が更に顕著になった。心地よい音色。




2014年12月26日金曜日

Hirotake Arai アライヘルメット

Some people call it ”trash”. But we call it ”treasure”. Hirotake Arai vintage helmet is what i scored in Tokyo. Thanks, hellmart.
As you see it looks broken. Mmm, already broken. It's possible to change the part of broken, but i want to keep it on so decided to fix it by myself with my method.

人によってはゴミに見えるだろう、ビンテージヘルメットを東京で手に入れた。ヘルマートの方、ありがとうございます。アメリカのヘルメットばかり持っているので、是非とも日本製を手に入れたかった。一目で気に入ったヒロタケアライのヘルメット。HAのロゴが誇らしく輝いている。このロゴは少し後期のモデルのようで1966年のR7。打倒ベルヘルメットを掲げていた新井広武さんのスピリットをひしひしと感じる。

There is some part of broken. 

このような状態。自分で治すといっても、自分が良ければいいというレベルにするだけ。
Done :)

耳パッドを両面テープで補正、後頭部のストラップはマジックテープタイプだったが剥がれてたので、糸で縫って終わり。cool。リムが革巻きなのがこのモデルの特徴だが、剥げと色褪せがかなり進行していたのでオイルを塗っておいた。東京で友達に借りたえごま油をすり込み、愛知帰ってからも革靴用のオイルを塗りまくった。
Japan flag, Z flag and little paint.

旗を貼り、小さなペイントを描いて完成。







2014年12月24日水曜日

Explosion of tower in Christmas. 太陽の塔

One of art by Mr. Okamoto still stands in Osaka Expo park. Heard about projection  mapping will be held in there so we heading.  That was cool. It might be new art style. There is a rumor we can go inside of ”Tower of Sun” . I hope that will come true.

大阪万博公園の太陽の塔にて、プロジェクトマッピングを開催するというので向った。面白い試みで、素直にすごいなと思えた。新しい形。来年太陽の塔に入れるという話があるが、果たして実行されるのだろうか。期待したい。

2014年12月17日水曜日

Taro Okamoto 岡本太郎の力

Say good bye to my buddy and heading for a museum of Taro Okamoto in Kanagawa. I have been hoping to come here. 

友に別れを告げ、川崎市にある岡本太郎美術館に向かう。


Impossible to take some picture in museum. Fuck it. If Mr. Taro lived here, he  would let us do anything. I am sure he don't care about little thing like taking a picture. In MOMA in NYC, we can take some picture freely even if it's a painting of Picasso. What is the attitude of museum? If the owner really understood about a heart of Taro, would not do the stupid thing like this. 
   Anyway, we can still feel his passion in here. The words he says always make me strong and let me think of a lof things in the world. I want anybody to read his mind and feel a soul.

美術館の内容は最高だったけど、写真ひとつさえ撮っちゃいけないという、美術館の心の狭さには呆れた。僕は写真を撮ろうとは思わないけど、撮りたい人だっていると思うから、撮らしてあげればいいと思う。出し惜しみを嫌う彼の姿勢とか、芸術の拡散を数多くしていた彼の行動を、美術館サイドが”ちゃんと”掴んでいるのなら、写真撮影を禁ずるという馬鹿げたことなんてしないはず。
     それはそうと、彼の作品は十分に楽しめた。予備知識無しでこの人の作品を見ても、心の中を掻き立てる何かを感じることができるのではないかと思う。無論、知識無しでの鑑賞の方が作品その物を見る態度としては、正しいこととは思うが。絵画や椅子など様々な作品が展示してあったが、心地がハラハラする2時間半だった。僕は太郎さんとは会ったこと、話したことはもちろんないわけだけど、実に情熱的で、痛快で、清々しい人なんだろうなと改めてわかった。言葉での表現で評するには限界があるが、ぐっと迫るそれは、ニューヨークで見た名声のある数々のモダンアート、いわゆる抽象画や超現実主義を主題とした作品と比べても、いや、比べてはいけない程の何かを発していたと思う。実にいい時間でした。

2014年12月15日月曜日

Tokyo rocks

I am here in Tokyo to see my buddy and to say thank you in the Yasukuni Shrine. We love noodle so we have just begun with Jiro ramen( one of the baddest noodle shop in Tokyo) . 

友人に会うためと、靖国神社に戦いの勝利と、お礼を告げるために東京を訪問。まずは腹ごしらえで、二郎ラーメンへ。

Back to work space. There is no heat machine so we get it directly from gas.

少々荒い暖気方法。 

Next day, we stopped at Fuglen that is coffee shop from Norway. I could not wait to try to have a coffee in there but my hope was broken by their way of making coffee. They just gave us that from pot. Not making it directly. That made me sad. They just chose a easy way.

翌日、ノルウェー発信のコーヒーショップ 「フグレン」に寄ってみた。家具は北欧、スピーカー、照明、それぞれの配置、壁の素材、温もりのある素晴らしい構成だった。本日のコーヒーというのはポットで出してるらしく、ぬるかった。ガーン

3rd day. Tried to ride on my friends' motorcycle. Kawasaki Z400FX. What a super fine machine.

3日目、友達のFXに試乗させてもらう。造形が好きなマシーン。



2014年12月8日月曜日

Tororo meal

Visit "can-feel-Japan" place "Choujiya"in Shizuoka. This is the chilling spot in Edo era. That was established in 1596! That's cool.  We can still enjoy the meal like people back in those days doing. 

帰国後、ものすごく日本な場所に訪れた。「丁子屋」と呼ばれるこの食事処は、慶長元年、西暦でいう1596年に創業したなんとも歴史深いお店です。店の方曰く、内装は新しくしてる所もあるそうだが、なんとも言えない雰囲気がひしひし伝わってきます。ここは東海道20番目の鞠子宿と呼ばれる宿場町で、歌川広重作「東海道五十三次」に描かれたり、松尾芭蕉の俳句にも出たりしていたから有名みたいです。


Like this!

このように。


2014年12月1日月曜日

Hello Japan

Hello Japan for the first time in last 3 months. When I arrived at here, i look around and tried to find out where the blue sky is. there is nothing anymore. However, i know my new journey has just begun from today. Can't wait for new obstacle that makes me mad and excited.

約3ヶ月振りの日本。カリフォルニアのあのブルースカイはもはや無く、ただ雨雲が頭の上を包んでた。今の気持ちを表してるような、新たな旅の始まるを祝福するような、厚い雲。これからが、本当の戦いってことは、百も承知であって、実はワクワクもしている。日本では、自分の意志を貫いて行く事が難しくて、辛い。でもガムシャラにぶつかって行こうと思う。それが生きる楽しさだと信じて。

he welcomes me (stray cat of my neighborhood) 

近所の猫が帰国を迎えてくれた。


2014年11月28日金曜日

75th day. Life is beautiful

Last day in US. Heading for Azusa to see special people.

アメリカ最終日、あるお方達に会いにアズサへ。

Chabott Engineering

Came here for canyon ride wit Mr. Kimura and Ayu san. Never ridden on regular motorcycle for 3 months(always for 30 mph on my little honda) so that really made me excited! What a fun ride! 
Let's ride on again. Thank you!

木村さんあゆさんとアズサ山へライディングしに行きました。なにせ3ヵ月も50キロでミーーーンとスローに走ってたので、このライディングは実に興奮した。バイクってやっぱ楽しいなー。お2人はいつもこの山を走っていて、その写真を見る度、何回行くんだろ~と思ってたけど、その理由がわかりました。この空、太陽、空気、山、匂い、すべてが乗り手を病みつきにさせる。山道は好きなので、日本でもよく走るけど、ここはまた違った素晴らしさがありました。SR500の乗り味がすごく良かった。あゆさんのXTも乗り味が素晴らしかった。軽くて瞬発力があるバイクは走ってて楽しいです。ガレージに戻り、新美さんの話をしてる時、木村さんは言ってました。バイク屋は色々なバイクに乗るといい、と。僕はバイク屋でもなんでもないけど、やっぱ乗りたいバイクにはできる限り乗ろうと決意しました。最高の思い出になりました。ありがとうございました!!また会いに行きます!


2014年11月27日木曜日

73rd, 74th day. Feel sick...

I feel sick from last night...what'd I eat? I have no idea...Today I had a appointment with VIP. Finally, I could not make it.

火曜の夜から調子が悪い。吐気、熱、腹痛。何か食べたのか…日系マーケットで食べた弁当かな…水曜は大事な予定があったのに、こんな時に限って…。水曜は1日中寝てた。今日も1日中休息。頼むから明日は回復してくれ。


2014年11月25日火曜日

72th day. Planes of fame

Visit ”Planes of fame” in Chino.

チノにあるプレーンズオブフェイムを訪れる。


That was good to see them but I cannot drive it so make me frustrated. 

見てても乗れないのでウズウズしてきた。一度でいいから乗ってみたい。



2014年11月23日日曜日

69th day. Antique parade

Wake up at 6 and get to the place.

6時に起きて現場へ。


I got a one helmet and one lucas reflector. I guess it is good price. At least, it's better than doing in Japan.

ヘルメットと反射板をゲットした。日本で買うよりはだいぶ安く買えたと思われる。最初ヘルメには125ドルと書いてあった。眺めてたらおじさんが値段は違うからな!って言ってきた。試着していい感じだったから、いくらと聞いたらいくらがいい?って聞いてきた。75くらい?って言ったらじゃあそれで。ってなっちゃったけど、もっと安くいえば出来た気がする…しまった。

and then, Long beach. I got a good stuff here. But actually, I wanted a whole of motorcycle. There was CB 175 for sale. Rarely see 175cc in Japan.

ロングビーチでもいいもの手に入れれた。でもCB175があったので、それもほしかった。日本ではあまり見かけない中途半端な排気量だけど、楽しそなサイズ。




2014年11月22日土曜日

68th day. Just keep on running

Good bye San Francisco. I will surely come back here with my sweetheart someday. 

また戻ってくるよシスコ。次は好きな人と来れますように。

Heading for Santa Clarita because I got a good information that motorcycle swap meet is held in this town. That's what Chabott crew told me. Thank you.  I stay at motel near the place where swap meet will be held. But seems like there will be swap meet in Long beach at the same day, so I will make it to both.

サンタクラリータでスワップミートがあると、チャボで聞きつけたので向かう。情報ありがとうございます。今夜はスワップミート近くのモーテルにて明日に備えます。そして同じ日にロングビーチでもスワップミートがあるというので、両方行く作戦を立てる。果たして。



2014年11月21日金曜日

67th day. San Francisco

Rent a car and heading for San Francisco. Arrived at it in the evening. First impression...it got a lot of slope than I expected. 

桑港のチャイナタウン 夜霧に濡れてーーー。モハベ砂漠で助けてくれたおじさんオススメのサンフランシスコへ。とても良さそうな町。でも、今の状態が燃え尽き症候群でぼーっとしてるのと、この町は1人で回るものじゃないと思ったのでそそくさと町を出る。滞在は2時間…。誰かとなら観光してみたかったから、また来ようと思う。







2014年11月20日木曜日

66th day. Discussion

Came back to Aida san garage. It has passed for 2 months since I left. Then, I stopped by Mr. Iwamoto's garage to say hi. Discussing with Mr. Iwamoto has just begun.

明日使うためのレンタカーを予約した。毎回お世話になってるさくらレンタカー。そこでたまたま6年前にレンタカーを借りた時にいた店員さんに会った。何とも奇遇な。そして近くの日本マーケットに送ってくれた。そして約2ヶ月振りにハーソンのガレージに戻った。りょうさんはいなかったので隣のガレージにいるバイク屋のイワモトさんを訪ねた。色々話してたら6時間くらい話をしてしまった。バイクのことはもちろん、戦闘機のことや、戦争のこと、アメリカ人と日本人の比較、核の話などなど。話の流れは忘れたけど、イワモトさんがこっちのツタヤで買ったという核爆弾の爆発映像ドキュメンタリーを見ることになった。これはアメリカが核爆弾を開発して、広島、長崎に落とす所や、水素爆弾の実験で被害にあった第五福竜丸や、互いに原子爆弾の実験をして牽制し合うアメリカとソ連の話など、原子力爆弾が関わる色々な話が出てくる映像だった。興味あるとかないとか別として、見ておいたほうがいいと言うので見てみたけど、色々凄かった。破壊力もだし、アメリカがそんなにも、核実験をしてたって知らなかったし、300回以上爆破実験してた。色々なタイプの爆弾を試してたみたい。広島、長崎に落とした核爆弾は、戦争を終わらせるために必要なことだったんだなどとアメリカは言ってたが、それならなぜ広島に落としたのはウラン爆弾で、長崎のはプルトニウム爆弾だったのか。あの二つの爆弾投下は、ただの核実験に過ぎなかったんじゃないかと。そうイワモトさんは言っていた。それは初めて知ったからビックリした。アメリカは恐ろしい所だといいながら話をしつつ、映像のラストは、アメリカやロシアが核の実験を停止する約束をし、世界から核実験が無くなった…と思わせて、最後は中国が核実験を再開…ってとこで映像は終わった。なんとも言えなかったけど、恐ろしさを知るには見た方がいいかもしれない。
    それにしても、イワモトさんは核爆弾について詳しいのでそこにもビックリした。危険な人とかそういうじゃなくて、ただその原理に凄く興味があるみたい。棚には色々な分野の、大量の参考書があった。勉強ってやっぱり大事だなと感じた日でした。
   

余談。

 今回、普通にアメリカを横断するのではなく、カブでアメリカを横断して得たことは、本当に大きくて、一生の宝になると思います。2ヶ月前の自分と、今の自分、どこが変わったかはよくわからないです。でもわかったことは、少しづつでも進んで行けば遠い目的地も見えてくるってこと。自分を追い込んで、頼れるのは自分のみという状況になった時に、自分の中の人間力は、想像を超える大きさで自分の中に湧いて出てくること。下手に明日を予測して、起きてもないことを懸念し、気持ちを萎えさすのではなく、その日その瞬間に物事を考えて、解決していった方が効率よくことが運ぶということ。予想なんて意味なくて、いつも想像を超えることが度々起こること。上手くいくイメージ、こんな感じだろうなっていう、ふわっとしたイメージは大切だけど、結局は一瞬一瞬の積み重ねを大切にして生きていくべきということ。
 走ってる時に、色々な考えが思いついたけど結局忘れてしまいました。自分の中に根付いてくれてたらいいのですが。そして何より、自分の精神の支えになってくれた、周りの人たちの存在は本当に大きかったです。でかいトレーラーに囲まれて轢かれそうになりながら走った時。前が見えないほどの雨の中、大量のトレーラーが横を通り過ぎ煽られて転びそうになった時。マイナスの寒さで逆風に吹かれ走ってる時。パンクして時間が押し、日が沈み、行きたい道も封鎖されて行き場が無くなって、夜の高速道路を通ってトレーラーにクラクション鳴らされながら走った時、トレーラーばっかだな。。そんな時、大袈裟かもしれないけど、みんなにもう一度でいいから会いたいって気持ちで走ってました。みんな信じないかもしれないけど、けっこう必死でした。
 そんな時、もうひとつ自分を支えてくれたのが、チューニングの神様ことポップ吉村さんの存在と、戦争で亡くなった人たちの存在です。これらの存在は共通する所が多々あります。かつて吉村さんは、航空機関士として太平洋戦争に参戦しており、もともとは予科練上がりでした。飛行機乗り、すなわち戦闘機乗りというのは、並みの精神じゃやっていけなくて、飛行中の重力にも耐えなくてはいけないし、車と違い、飛行機は故障が出たら空の上ゆえ命取りになることや、防寒なんて知れてるし、何千キロと飛行する。そして敵に狙われる。本当に命を狙われる。かなりまとめて書きましたけど、これは彼の伝記に書いてあったことです。初めて本を読んだ時、衝撃を受けました。この現代で普通に暮らしてる自分には、到底想像もできない状況です。自分を彼らに重ねるのは何とも失礼な話ですが、かなり精神の支えになっていました。自分が辛いと感じる状況でも、まだまだやれるぞ、あの人たちの過酷さはこんなもんじゃないって思えました。吉村さんは昔の話を回顧しながら、最後に「果たして現代の若い連中に理解できるだろうか。理解を無理強いはしないが、ただそうした事実がかつてあり、それを身をもって体験してる人間がまだ存在することだけは知っておいてほしいと思う。」 と仰っています。そうした事実ってのは、彼が特攻隊先導の任務もしていたという事実です。もちろん完全に理解はできませんが、理解したいし、彼らの精神は自分の世代、後の世代に受け継いで行きたいと心から思います。
 とある友達と、こういった戦争の話や特攻隊の話をよくするようになりました。たいていの人は割と敬遠しているのか、理解をしようとしない話です。かつて日本のために死んでいった人はたくさんいました。吉村さんも関わってた特攻隊もその一つで、彼らがやったことはテロだとか、愛国狂信者とか、無駄死にだったとか色々言われてます。みんな考えは違いますから、そこはしょうがないです。でも実際、とある映像にて、神風特攻隊にいた方がこう仰ってました。特攻の指示が出た時、快く受け止めて死のうなんて思った人なんていなかったと。これは特攻隊を美化するのではなくて、日本という国のために、将来のため、死んでいった人達が実際に存在していたという事実で、とても切なく、再発してはいけない事実だと思います。みんな今の自分と同じくらいの歳か、それより下の子ばかりです。だから、彼らが命を捨ててまで守り、残してくれた日本を誇りに思うし、彼らの分も人生を楽しみ、全うしたいと思います。
 今アメリカにいて、アメリカ人の暮らしを見ていると、愛国心をすごく感じます。何かの記念日とか関係なく、国旗を車やバイクにつけていたり、家に掲揚してたり。アメリカに対するわだかまりはまた別の機会に話すとして、そうやって素直に愛国心を表現できるのは、なんともいいことだと思います。日本で国旗つけてたら、どういった見方をされるのでしょうか。サッカー日本代表ユニフォームなどには堂々と掲げられてますが、普段着などに用いられるとなると、なんともいえない。もちろん、国旗を掲げることだけが自国を愛するという表現になるわけではなく、心の中に抱いている人はたくさんいると思いますが。いつもアメリカに来る度に、アメリカがさらに好きになり、日本もさらに好きになります。日本に帰ったら、少しづつでもいいので、日本が大好きだって素直に表せて、それが当たり前になるような環境に変えて行きたいと思います。

2014年11月19日水曜日

65th day. Finally…

I made it. Thank you all for supporting me. 
Total Mileage 7041 miles

ついにゴール!
全走行距離 11,266キロ


Before reaching at goal point, I been expecting I'm deeply impressed by that. However, when I made it to there, I just felt simply feeling. I walked up to tip of pier and stared at pacific ocean, there is Japan over the sea. I felt strongly my real trip will begin in Japan. That means there is no goal point in my life. I think I must keep running from here from now.

ゴールにたどり着く前は、すごく感動のゴールになるんじゃないかなって思ってた。しかし、いざサンタモニカピアに着いて、太平洋を見てた時、ここまで来れたっていう達成感は感じたけど、あっこんなもんかっていう感情もあった。それは多分日本に帰ってからが本当の勝負の始まりだからってことだと思う。ゴールと同時に自分の頭の中では、日本に帰ってからの次の目標が浮かんで来てる。終わりと同時に新たな始まりなんですね。これからも色々挑戦して行こう!

 





64th day. To San Bernardino

Heading for San Bernardino. On the way, I must ride on interstate for 6 miles...
While running on that, I thought I'm going to hell seriously.

今日はいよいよ最後の山越えでサンバーナーディノへ。途中インターステートに乗らなくちゃ行けなくて、乗って、案の定工事で路肩が封鎖されてて、本当に心から生きてる心地がしなかった。なんとか出口にたどり着いたけど、心身共に疲れた。で、街中にはいってきたら暖かくなってきた。ついに、、、
 旅の終わりが近づくと、毎回この感情が芽生えてくる。今回はその大きさが違う。最後まで走れますように。

2014年11月18日火曜日

63rd day. From heaven to hell and then to heaven

Scary of USA still stand in front of me. He  don't let me go to home easily...

この旅とかじゃなくて、人生の中でなかなかないピンチだった。今モーテルにいられることに心から幸せを感じる。

As I made up my mind yesterday, I will do my best run today. Rough road is going on.

昨日決めた通り今日は攻めることにした。まずはオートマンへの道が峠で、カブには少しキツイ道が続く。

Oatman. Old west town still here. There are many wild donkey anywhere. They coming and say ”Gimme your food”. There is still original route 66 sign. It's made by wood. After leaving in Oatman, heading for Needles and then going through Mojave Desert to Barstow.

古き良き西部の雰囲気を残す町オートマン。1953年、この町を横切るルート66から新しい道が台頭した翌日、この町のガソリンスタンド7軒中6軒は閉鎖された。それでも町は地元の人たちで支え合い続いていた。しかしある時、西部劇の映画の舞台となった時から、この町は新しい価値を見いだし、古き良き西部の雰囲気を残す町として、人気となっていったみたい。いい話。

ここまでは順調だった。少しこの町で時間を食ったけどなんとか間に合うだろうと、州間のニードルスに向かう。この時点で12時頃。ニードルスに着き、ここからはモハベ砂漠を抜けるのみ。まずはインターステートしかないので路肩をゆっくり走り、National Trails Highwayというバーストウまで繋がる下道を目指した。その下道まで40キロ程インターステートを走る。が途中、だいぶ手前の出口でルート66はこっちと案内が出てたのでそれに従い降りた。地図を見るとその通りで、30キロ程遠回りするけど、結局行く予定の下道に繋がってた。そこを走り切って、National Trails Hwyに入ろうとしたら道が封鎖されてた。この時点で2時半頃。この下道を使うにはここからまたインターステートを40キロくらい乗って別の下道から行かなくてはいけない。まあいっかとまたインターステートに乗り、30分程走ったら突然のパン!!!と嫌な音が。
Got a flat tire on interstate.

インターステート上でパンク。
Little wire

針金が刺さってた。タイヤもだいぶ来てる。案の定、作業中に警察が来て、バイクが小さすぎるなと言ってきた。これは切符かと思ったけど、下道がクローズしててしょうがないんだと言ったら、次の出口で降りるんだぞ、気をつけろよっと言い行ってしまった。セーフ。この時点で4時頃。ここまでは良かった。ここから悲劇が始まった。パンクを直し、走り始める。バーストウは予定狂ったので無理と判断し、このモハベ砂漠の真ん中にある唯一のモーテルを目指すことに。昨晩、バーストウにもしも着けなかったらと調べておいたのだった。調べといて良かったと思いながら、段々日が暮れてくる。次の出口を出れば当初の予定の下道に行けて、モーテルがある、、しかし出口が工事で封鎖。となったらインターステートの入り口から逆走で歩いて出ようと思い、下道を見たら舗装無しのめちゃくちゃな道でとても行けそうにない。少しずつあたりも暗くなって来てる。ちょうど砂漠の真ん中でバーストウまで120キロ程。この先道は80キロ近くインターステートのみ。暗いけどもう行くしかないとインターステートに乗る。フラッシュライトを腕につけ光を多くして走る。しかし、出せても60キロ、ヘッドライトは暗くて前が見えなくて、路肩はゴミだらけで走れない。トレーラーや車はやはり気付くのが遅れるのか、接近が半端なくてトレーラーにクラクション鳴らされまくる。日は完全に沈んでしまって、すごい勢いで気温が下がり、指が痛い。なんとか40キロ程走り、ガソスタがあったのでいったん避難。人気がない…。ゴーストタウンなのか、かつてはモーテルもあったみたい。これは本当に危ないと思って、しばらく考えていた。そこに1台のトラックが来た。おじさんが乗ってる。これは…あの作戦を試みる。バーストウまでバイク載せてくれませんか?っと言ったら、ああいいよ!だって…。まだ運は残ってる…。
 ラリーというおじさんはアリゾナとカリフォルニアはフレズノに家を持ってる人らしく、今日はアリゾナからフレズノに向かう途中だったみたい。グランドキャニオンでのラフティングやキャンプの魅力、釣りの魅力、サンフランシスコは行くべきだなど色々教えてくれた。キャンプと釣りが好きらしい。モーテルまでわざわざ送ってくれて、日本に帰る前にサンフランシスコに行くよっと言ったら、メールアドレスをくれて、絶対だぞ、サンフランシスコでのお前の写真を送ってくれと笑っていた。ラリーさんキャンプ好きなので、お礼で愛用してたケトルをあげたら喜んでくれた。よかった!本当にありがとう。最後の砂漠越えは、思い出に残る結果になった。


Today's run for 152 miles.

本日の走行距離 243キロ