2014年6月24日火曜日

沖縄戦 慰霊の日

    来年で、戦後七十年。戦争を肌で知る人は日本にもう一握り程度かもしれない。戦争の話をたくさんしてくれた満州鉄道員だった祖父や、陸上自衛隊員だった叔父。今思えば貴重な話ばかりだった。二十代の自分にとって戦争はそういった間接的に聞く話や、資料などで調べるしか知る手立てがない出来事。昔は、ただの歴史上の話に過ぎない事だったけど、色々知るにつれて、今の平和や生活に深く関わり、歴史の一ページだけで済ましてはいけない事だとわかってきた。
    今では想像できない当時の軍国主義の日本。戦争が始まり日本は太平洋に領地を拡大して行った。無謀にもアメリカに奇襲をかけ、一時的な善戦も束の間、結果たくさんの犠牲を払った。物資が尽き、手段を無くした日本の特攻作戦。昨日までいた友達が今日いなくなるって、そんな想像し難いことが現実に起きていた。そうせざるを得なかった当時の日本の気風。何人の若者が死んだのだろう。昨年、鹿児島の知覧へ行き、日本の最後のあがきに利用された若者の死を目にしてきた。自分と同じ歳の人もたくさんいた。自分の将来はどうなってくんだろう、って想像できる現代に生きる僕たち。自分の将来など想像できるわけ無く、日本のためにただ散って行った若者たち。これが現実に起きていた。彼らの気持ちを理解しようなんて出来るはずはない。理解出来る人はその時飛び立って行った人だけ。憲兵の目があるから遺書には弱音が吐けなかったのだろうが、本当に勇敢で、読んでいてずっと涙が止まらなかった。彼らの犠牲や、沖縄の方々の犠牲がアメリカを怯ませ、日本を守ってくれたと思っても何も異存はない。もう肌で感じれなくても、かつてこうゆう人が日本にいたという事実を知るだけでも、今の日本に感謝できると思う。愛する人に会えずに死んでいった人はたくさんいたはず。今は会える。これは当たり前じゃなくて、すごく特別な事なんだと思う。そう思えば今の日本に、日常に、出来事に、大切な人に会えるという当たり前の事にもっと感謝できると思う。
    日本人が忘れてる物って最近良く耳にするけど、もう一度戦争が教えてくれた事を整理して、現代の生き方に反映させることが大事だと思う。今の日本の日常が当たり前ではなく、色々な犠牲の上に成り立つ大切なものだとわかれば、現代の人々の生活がもう少し上を向いて行くのではないか。


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