2016年8月11日木曜日

戦争とおはぎとグリンピース


    あの頃はよかった…飲み屋でそんなため息混じりのセリフを聞けばつい耳を傾けたくなる。自分が知っている日本は1990年代前半からだけ。今とあの頃の違いを人生の諸先輩に会うたびに問うてきた。彼らの話から自分なりに過去を紐解くと、当時はひとえに純粋で明朗かつ綺麗な心を持つ者が多いことが窺える。みな決してブレたりせず、自分が信じることを遂行する。川で例えるなら現代の世界や人々の心は下流の水質のようである。幾多の成分が混じり合い、一寸先も見えない淀んだ水であり濁っている。昔は上流である。混じりっけのない清流だ。限りある情報しかなく、情報が情報を邪魔しない、つまり滞りなく邁進できる環境があった。道が1つ目の前にあれば人は迷うことなくそこを進める。道が1つ2つ、増えれば増えるほど悩む。よく言えば選択肢の多い人生だが、うまく決められない人は躓く。今の時代でも澄んだ心を持つ人はたくさんいるが、淀んだ人も確実に多い。
    今はどう生きるかが問われるが、ひと昔前はまず生きることが求められた。高度経済成長以前の話になるが、この時代のシンプルな生き方は憧れであり、情報化社会に疲れた自分自身の心の拠り所でもある。戦前、戦中、戦後、日本人が飢えや貧しさに苦しみ、それでも踏ん張り支えてきてくれたことは知っている。その時代の人々の心を理解したいと努めても、経験していない僕は知れない。想像を遥かに超える辛さがあったのは間違いない。でも当時の各文献から読み取れるのは、心を輝かせ絶対負けないぞという人々の心意気ばかりなのだ。これだけ恵まれた世界にいる今の日本人は絶望に瀕しているというのに。
    もうあの頃には戻れない。それは誰もがわかってる。でもあの頃の生き方がもっと光を浴びて、今の時代に反映していってくれたら嬉しい。「戦争とおはぎとグリンピース」。この本を出した人はそういった思いが人一倍あるのであろう、刊行してくれたことに感謝しかない。歴史を知ることは絶対無駄じゃない。僕にとっての処世術はそこにあったから。もし日常に絶望している若者がいるとする。彼らに、ご飯が食べられるだけでもすごく幸せなことなんだよ、と言ってもほとんど何も響かないだろう。今と戦中、当たり前の基準が違いすぎるから当然のことだ。でも彼ら自身がやがて自ら過去に赴き、当時の生き方を自分に照らし合わすことができたらきっと心に響くことがあるはずだ。
    もうすぐ終戦の日、ご飯を噛み締められることに今一度感謝して、また明日を生きてゆきたい。



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