先月東京にて、小西美術工藝社社長アトキンソンさんの講演会があり伺った。小西美術工藝といえば、創業から300年以上の歴史を持つ老舗伝統工芸施工会社である。最近では日光東照宮の修復を手掛けたらしい。なぜこの伝統ある日本企業のトップがイギリス出身のこの紳士なのか。そもそもどんな人なのか。会で詳細な説明を話していたがここでは省略して、言いたいのはこの人の文化財及び、日本の歴史に対する姿勢がすごく勉強になったということ。氏はこう仰った「例えば京都のお寺を廻る時、修学旅行生と一緒になっていませんか」と。つまりあちこちをサッササッサと見て見学終了、次、となってないかとということだ。お寺は観光だけでなく、勉強を、知ることを目的とするべきだと氏は続けて語る。そもそもお寺の本来の目的は悟りを開くため修行する僧の住む場所であり、一般人に布教する場所であり、その本来の目的をより遂行すべきなのではないかと。人それぞれ違う気持ちで寺を訪れているだろうが、観光地と言われる場所でのお寺訪問は8,9割観光目的であろう。過去を振り返ってみると、自分は確実にサッサッサとお寺を廻っている。この人、京都に家を持ち、茶道も習っている程日本通だ。京都での日本人観光客の立ち振舞いが気になっていたのだそう。この後も日本の観光に対する姿勢などを話していた。その「姿勢」についてはとても共感したがしかし、同時に積み上げたものが一気に崩れ落ちていくような悔しさもあった。今までもったいない使い方をしてたんじゃなかったかって。それらを踏まえこの度、我が家先代からの御用達?の曹洞宗総本山福井県は永平寺に行くことにした。
愛知県から北陸自動車道を使えば2時間程で行ける距離だが、どうしてもまだ高速道路に素直になれない自分は一路下道で福井を目指すことにした。予定では4時間半程だがどうだろうか。午前4時の8月10日は紺青色が空を覆い、時より涼しい風を吹かせ夏の終わりを思わせる。セミも休憩中なのかシーンとしていて見守ってくれているようだ。車が少ないこの時間は走っていて楽しい。岐阜県を通り過ぎ、滋賀県長浜市の東を抜けどんどん北へ向かって行く。このあたりから走った記憶のない道が続く。この高揚感。自分の知らない匂い、音、風景が新しく自分に刻まれる瞬間が純粋に楽しくて、辞められない。高い所から飛ぶだけで本当に楽しかった小学生の時のあの感覚と一緒な気がする。2回程休憩し、だいたい予定通り9時に永平寺に到着した。
ずいぶん山の中に位置し四方は杉の木に囲まれ神々しさを感じさせる。最初に寺内に見えた建物がとにかくでかすぎてぎょっとした。「総本山」の名にふさわしい外面だ。畏敬の念を持ち寺内に足を踏み出す。わーわーと口でも心の中でもつぶやいてしまう。全てが大きく、杉の葉の間から太陽の光が石畳をキラキラと照らし、冷たい風が時折吹く。何ともキャンプの朝のようなフレッシュな感覚がする。拝観料は500円で券売機...で券を購入しいよいよ建物内へ。永平寺の特徴は七堂伽藍と呼ばれる七つのお堂で構成されていることや、やはり修行僧と入り混じりながら建物を見学できるということだろう。中へ入り事前予約をしていた案内役の僧の方にお会いした。名は良徳さん、群馬県出身の25歳の青年だった。実家はお寺で兄が後を継ぐそうだが、彼も仏教に興味を持ち今修行しているのだそう。修行中にわざわざ申し訳ないと思ったが、100人を越える僧たちはそれぞれの部署に配属されており、彼は案内などをする部署にいるとのことだった。受付で坊主の集団がパソコンをいじってる姿はすごくシュールで、でも違和感というよりは過去と未来がうまく共存してるような慎ましい光景に思えた。案内が始まり、何でも質問して下さいと彼が言うので本当に何でも聞いてみた。僕が興味あったのは俗の世界を発ち、今仏の道を目指している段階でどれほど仏心を抱いているかということ。住職や僧とはいえ人間である。欲求もあれば理性もあるのは当たり前だ。色々聞くと、どこ出身で今まで何をやってきたとか僧同志でプライベートな話はけっこうするらしい。草採りをしてる僧の集団を見ていたが黙々と作業する人もいれば、時折談笑する場面も見えて安堵を感じた。当たり前なんだけど彼らも人間なんだなって再確認。小1時間みっちり案内を受け良徳さんとさよならして、また会いに来ますと約束した。今までにない不思議な1時間。この後、彼と廻った所を自分一人でもう一度廻った。時計を見ると午後1時で計4時間永平寺に浸っていた。仏教には八万四千の教えが有ると言われているが、基本は「悪いことができない」「善いことは進んでやる」「自分の心を清める」の3つが根本の教えらしい。八万なんて到底無理なのでこの3つをまずは頭に入れようと思う。
初めて「学ぶ」を目的にお寺を廻ってみたがまたやってみたいと思う。勉強というより長い瞑想時間のような感じで寺を出た時頭が軽くなった。アトキンソンさんは「私は二条城には1日いてもいいと思う!」と熱弁を奮っていたけどその気持ちが少しわかった気がする。はいはい次々という現代の流れの中ふと立ち止まり、1日たったひとつのお寺に自分を預ける。こんな贅沢なことしてもいいのかと仏教の基本をもう一度確かめてみた。
0 件のコメント:
コメントを投稿