2015年8月17日月曜日

諸行無常

 うちへ来て16年、愛犬ライムが死んでしまった。よく生きてくれたと思う。

 生まれてからずっと犬を飼い続け、ライムで4代目。今までの犬は5年6年という短い命だったためかすかな記憶しかない。真っ白の雑種で、大きさは中型、散歩するとすぐ落ちてるゴミを食べるようなストリートライクなライムは青春を共に長く過ごした犬なのでたくさんの思い出がある。自分の住む市から隣の隣の市まで何10キロも散歩してお互いでバテていたり、友達とオールナイトで遊んで朝5時に帰宅しそこからライムを起こし強引に連れ出し散歩してダッシュをしたり、田んぼでダッシュして走り合ったりとたくさん競争していた。自分の足を遥かに越える脚力で走っても全く追いつけなかったのに、やがて同じくらいになり、やがて遅くなり、やがて走らなくなり、そして歩くのもままならなくなっていった。ドラマを早送りしたように、目に見えて変化をしていく犬の一生が目の前で行われていった。

 8月16日彼女は旅立った。最後は立つこともできなかったらしい。自分は最後を見とれず死んで数時間後対面した。穏やかな表情だった。時だけは何が起きても変わらず変化してて、今の世界で”絶対”を誇る数少ない要素だ。そんな時の中の、すべてひとつひとつの行為に意味があるんだと思う。犬を飼うこと、動物を飼うことの意味は?そんな10代の頃考えもしなかったことを考えてみた。何も意識をせず犬と運動場や田んぼで過ごしていたあの時、自分はどう感じてたんだろう。犬と人間の違いは?犬に限らず動物と人間の最大の違いは、理性や欲望の有無だと思う。動物はいつでも感情通り生き、素直な行動をする。そんな姿が理性を効かせ、欲望の渦巻くこの世の中に生きる僕らには、ふとした救世主になってくれる。その素直さに心を癒され、洗われる。人は疲れてる時や投げやりな時、小さな純粋さや健気さに心を打たれる。それが動物であり、身近な犬や猫なんだと思う。もちろん命の大切さは言うまでもなく。

 去年の愛猫に続き、今年は愛犬。次々に自分の元から去っていってしまう。この世で何かと別れをする度に、またいつか、と願う。ほんとうにそうなってほしい。あの頃は、って振り返って話をしてみたいと思う。ありがとうライム。また昔みたいに競って走り合おう。



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